「ワーク・ライフ・バランス」とは、そもそも2007年12月に内閣府が「仕事と生活の調和憲章」と「仕事と生活の調和推進のための行動指針」を制定したところが始まりです。
「仕事を減らす、または軽くして楽にする。」ことではないし、「自分の何かを犠牲にして仕事をするのはいかがなものか?」というものです。
高度成長時代を経験した、いかにも「日本ぽい」話。
私は、「ワーク・ライフ・バランス」とは、その人の人生(ライフ)のスパンで考えるもの。
と、わたしは考えています。
ここ最近「公私混同しよう」を唱えている私の解釈です。
ずっと何かを犠牲にして仕事するのは、良くない気がします。
ずっと楽してズルして収入を得ようとするのは、良くない気がします。
そもそも、ワークとライフを別物として考えることに違和感を感じます。
ワークはライフの一部分。
その人のライフの中で、仕事や家庭、趣味や娯楽などの時間や熱意の割合がどうか。という話。
「仕事と生活の調和」って言うけれど、生活の中の一部が仕事のはず、だと思うのです。
「生活(ライフ)の中の仕事と仕事以外のことの、熱量や時間やスタミナ配分をバランス良くしましょう。」という事のはずです。
「仕事に全精力を注ぎ、寝る間も惜しんで仕事をすることは悪」と解釈してしまいそうな空気には警戒感を持ちます。
てか、これは昭和生まれの私の偏見である可能性も十分あります
部活と勉強に、全精力とほとんどの時間を注ぐことは悪い事ではない。
試合で良い成果を出すために、家に帰るとバタンキューになる時期。
受験に向けて、睡眠時間3・4時間で勉強する時期。
何も手につかないくらい、その人を好きになっている時期。
何もする気が起きない時期。
社会人になっても同じです。
仕事しか考えられない時期。
仕事も手につかない時期。
何もかもが悪く見えて進まない時期。
いろんな事が上手くいっている時期。
人によってはパートナーと暮らすようになった時期。
人によっては子育てをする時期。
人によっては子育てを終えた時期。
生きていくなかで、結果的にいろんなことをバランスよく経験すること。
が、「ワーク・ライフ・バランス」だと思います。
それに導くのが、先に歳を重ねた人の役割かと。
望んでもいない重い病で、ワークしたくてもできない人だって、
重い障がいで自意識さえ薄れてる人だって、
「ワーク」という言葉が何かに変わるだけでの話し。
欲とストレスと喜怒哀楽があることが、健全で、そしてありがたいことなんだ。
と思います。
私もそうでしたし、今は「公私混同でイイじゃん」という時期になってます。
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